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誉めて伸る子と怒って伸る子の本質的差はどこにある?

誉めても怒っても伸る子はともかくとして、 誉めて伸る子と怒って伸る子の本質的差はどこにあるのでしょうか? 特に教育学的な視点からのご解答をお待ちしてます。

noname#2813
noname#2813

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noname#25358
noname#25358
回答No.5

 まず最初に言っておきます。  子供は怒っても絶対によくはなりません。ただ、今までの道徳的な間違いが修正されるだけです。  怒って伸びる子がいたら、その子はもう子供ではありません。  なぜなら、怒られて伸びるのは、ある特定の分野においてすでに「楽しい」という感覚を覚えている子供に限られているからです。  たとえば、○○ゲームというスポーツに興味のある子供がいたとします。練習し始めたばかりの子供に「あんたはどうしてできないの!」と言ったりしたら、その子はどう思うでしょうか?  当たり前に考えたら、「そんな怒られるんだったらもうやーめた」と思うのが当然じゃないでしょうか。  でもたとえば、何かの大会で優勝か、あるいはその子にとって優勝と同意の価値のある名誉を過去に手に入れていればどうでしょう。  当たり前に考えたら、「もう一度あの気持ちを味わいたい」と考え、多少怒られてもやり直すことができるでしょう。  ですから、「怒られて伸びる」ためには、その分野においてある程度長い時間練習(勉強)をしており、かつ、「いい経験」を何度か味わっている必要があります。  そうなると、やっぱり怒られて伸びる子はある程度大きな子供に限られてきます。  何に対しても決してしからない、というのもやっぱりいけませんが、しかしそれでも、「怒られて伸びる子供がいる」なんて妄想を抱くのは、もうやめた方がいいでしょう。

noname#2813
質問者

お礼

たしかにそうですね。 勉強になりました。 自分の経験と照らし合わせても思い当たる節があります。 ありがとうございます。

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回答No.6

私は小学校に勤めていますが erimegさんのおっしゃるように、学校現場や家庭で 「怒って伸びる」子はいないと思います。 たとえ「叱った」としても伸びるわけじゃなく、私はあくまでも行為や感情を振り返らせて、自分で修正していくことを期待して叱っています。まあ、中には、家庭で甘やかされすぎていて学校で「叱られる」ことによって態度がよくなっていった子もいますが、ごく少数です。そういう子の場合はたいてい叱っても逆効果(余計に反発する)だったりします。 ほかの方も書いてらっしゃいましたが、自分の好きなことをしているとき、クラブとか趣味とか、そういう場なら、叱られてもたとえ感情的に怒られたとしても ついていけるとは思いますが、それ以外の場では萎縮するだけで伸びることはないと思います。

noname#2813
質問者

補足

みなさん、ありがとうございます。 経験や具体例等を交えていただいたおかげでとても勉強になりました。

  • nonkun
  • ベストアンサー率27% (98/357)
回答No.4

誉めて伸びるのは長所を伸ばす教育、怒って伸びるのは欠点を矯正する教育だと思います。ですから違うものと考えたほうが良いと思います。となると「怒」ってはダメでしょう、「叱」らないと。 となると誉めるのは誰でも伸びそうな気がします。ただ調子に乗りすぎる性格の子はあまり誉めすぎないほうが良いでしょうが。また、気の弱い子や人の目を気にする子は叱る教育だとつぶれてしまうでしょう。 両方織り交ぜてバランスよく教育していくのがいいと思います。 しかし、人は得てして欠点に目が行きがち。少々の欠点は目をつぶるようにした方が良いでしょう。

noname#2813
質問者

お礼

なるほど。 両方必要だというご指摘とても説得力があります。 いろいろなこの性格をきちんと見抜いた上で教育しなければならないとなると、教師という仕事は結構大変なんでしょうね。 ありがとうございました。

  • popesyu
  • ベストアンサー率36% (1782/4883)
回答No.3

教育学というよりは社会心理とかの分野になるんですけど。 とある実験で 外発的動機付けが内発的動機付けにとってかわるというような事例も報告されてます。 具体的には、例えば絵を描くのが好きな子がいるとします。単にその子は絵を描くのが好きなだけで、別に将来は絵描きになろうとか、上手く描いて周囲の人を驚かせてやろうとか不純な動機(笑)はないです。 しかし、その子が絵を描くたびにえらいわね○○ちゃん こんなに上手い絵を描いてよし褒美をあげましょう なんて外発的動機付けを刺激するような行為を続けると その子の中にある絵を描きたい欲求は次第にすたれ、絵を描く目的が、褒美をもらうことにとって変わるというのです。 以上余談です。 さて「誉め」が向いている子と「怒り」が向いてる子の本質的差ということになれば、2番さんの言うようにその子の性質、特に外向的か内向的かにあると思いますが。 別にこれも教育学的ではないですけど。

  • FRO-SK
  • ベストアンサー率17% (6/34)
回答No.2

子どもが行動を開始し、目標達成に向けてエネルギーを維持するためには、動機付けという心的エネルギーが必要だそうです。報酬又は罰を与えるものを外発的動機付けといい、学習者の中にある興味・関心・好奇心・有能感などによるものを内発的動機付けといいます。 年少者には外発的動機付けが好ましいとされています。ただし、報酬か罰かによって効果は異なります。報酬は長期にわたる学習促進効果があり、罰は一時的です。また、外向的な子どもには罰がよく、内向的な子どもには報酬が効果的だとも言われていて、学習者の特性を考慮しなければならない、ということです。 でも、どうでしょうね。

noname#2813
質問者

お礼

言われてみるとたしかに、誉められたときの方がやる気が出るような気がします。 私の性格にも関係するようですが。 学問的な的を得たご解答ありがとうございます。 勉強になりました。

  • erimeg
  • ベストアンサー率18% (74/405)
回答No.1

無学な子育て中の母親ですが、怒って伸びる子、というのがよくわからないんですが・・。 ほめると確かにみんな伸びます、どの子も。 怒って伸びる例は、私のことに限ると、ピアノの先生が厳しくて、しかもへたくそだったのでほめられることは年に何回、っていうかんじでしたが、うまくなりたい、先生は私を上達させようとしてくれてる、と感じてはいましたので、それで何とか人並みにまでなれた経緯はあります。 あと、芝居をやってたときには、演出家によったら、役者を絶対ほめず、罵倒して演技指導などするタイプもいましたし、これも、一つのお芝居を成功させていくためのものなので、役者陣は一生懸命ついていった、ということもありました。 こうなると、クラブ活動とか、スポーツ系のチームとか、そういう系だと、根性のある子は伸びるのかも。 ピアノも、劇団も、上記スポーツチーム等も、イヤなら辞めりゃいいんですからねえ。 それをあえてするのは、辞めたくないからです。 そうすると辞められない状況の時にほめて伸びるのかも。 親子とか、学校の先生とか。 子供たちには、健康を害したり命の危険のあるときか、人に迷惑をかけたときに怒るようにしています。 上手に描けたね、もうこんな計算もできるのね、と極力ほめ言葉を挟むように心がけています。 教育学的視点がよくわからなくてすみません。 子、という文字を見ると、母親として、元子供として考えてしまうもので・・。

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