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「さびしむ」という表現には違和感がありませんか。

noname#2543の回答

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noname#2543
noname#2543
回答No.4

 「む」という言葉の造語力の問題だと思います。万葉集以来の古い接尾語である「む」は既に造語力を失い、「悲しむ」「楽しむ」など定型化した表現でしか使われなくなってしまったのです。  これは「む」と同様な機能を有する「がる」と比べてみるとよくわかります。「がる」の造語力は強力で「いとしがる」「いまいましがる」「うれしがる」、更には「ナウがる」などいくらでも造れるのです。  逆にいえば、「む」が造語力を失ったのは、「がる」との形容詞を動詞化する接尾語の地位を掛けた生存競争に負けたためともいえます。  「む」が負けた理由は、よく分かりませんが、多分、(1)「る」の音が入るほうが動詞っぽい、(2)一音より二音の方が強い印象を与える、ということだと思います。新造語は、聞く人に聞きなれないので、ある程度、強い自己主張をしないと聞き取ってもらえないのです。  なお、負けた「む」は定型化した新造語とは言えないような表現だけ残ったのですが、定型化したかどうかの感覚は人によります。  例えば、「若い妻をいとしむ元就の・・・(http://www.chugoku-np.co.jp/Mouri/Mr96112701.html)」「ゴミの量が減って嬉しむべか・・・(http://eco.goo.ne.jp/monitor/files/2nd/compost_repo_n1.html)」など、現代でも使われるようです。私も「いとしむ」は変なような気がしますが「いとしみの目で見つめる」は良いような気がします。  似たようなことは他にもあります。  例えば、日本語は比較言語的に形容詞の数が少ないのですが、それは形容動詞があるためです。「い」より「だ(な)」の方が造語力があるのです。  すなわち、「ナウい」とは言えても「キュートい」とは言えません。しかし、「ナウだ(ナウな)」「キュートだ(キュートな)」「ITだ(ITな)」など何でもできます。  思うにこれは、「い(し)」より「だ」の方が強い音である事とともに、日本に漢語が入ってきたときに、「名詞的漢語+だ(経典だ)」と「形容詞的漢語+だ(立派だ)」と統一して日本語化できたためでしょう。  

h-taka-h
質問者

お礼

早速の回答ありがとうございます。「む」と「がる」の造語力の違いという説明は大変参考になりました。接尾語としての「む」の機能についてもう少し調べてみようと思います。また、他の語にも広げて考察してみようとも考えています。お世話になりました。

h-taka-h
質問者

補足

確かに造語力が違うということはよく分かりました。ただ、「む」「がる」は同じ意味の接尾語なのでしょうか。例えば「楽しむ」「楽しがる」のニュアンスは微妙に違うと思うのです。助動詞の「まほし」→「たし」→「たい」の時代的変遷ならばほぼ同じ意味の語にとって変わられたということはいえると思うのですが… この辺についてよろしければもう少し詳しくお考えをお聞かせください。

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