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解決済みの質問

質問No.1313221
暇なときにでも
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回答数2
閲覧数16293
着物とかの合わせ、右が前、左が前、について
合わせが右なのは縁起が悪いと聞きますが、

どういう風に縁起が悪いのですか?

亡くなった人、とか・・・?

あと、女の人も左が前なんですか?

教えてください。
投稿日時 - 2005-04-05 17:06:03

質問者が選んだベストアンサー

回答No.1
1200年以上も前から、着物は右前。

 着物は右前に着るのが当たり前で、左前に着るのは「死んだときだけ」「早死にする」などといい、たいへん縁起の悪いこと、いわばタブーとされています。
これは仏式の葬儀で、死者に着せる経帷子(きょうかたびら)を左前にすることから連想されたことなのでしょう。
葬儀では、ふだんとは逆にするしきたりが多いのです。
 
さて、この「左前」ですが、着物に馴染みのない人には、ちょっとわかりにくいかもしれません。
着る人からみて、先に左側の衽(おくみ=前身ごろに縫いつけた半幅の布)をつけてから、その上に右側の衽を重ね合わせたのが左前。
もちろん正しくは右→左の順で重ねる右前になります。

ちなみに洋服の場合、紳士服の襟合わせは右前、婦人服は左前になっています。
 
古墳時代の埴輪、そして法隆寺五重塔にある塑像(そぞう)には、右前、左前両方の襟合わせが見られますから、600年代までは特別の決まりはなかったのでしょう。
それが右前と統一されるのは、719(養老3)年のこと。
「続日本紀(しょくにほんぎ)」元正天皇2月3日の条に『初メテ天下ノ百姓ヲシテ襟ヲ右ニ令ム』とあり、この詔勅(しょうちょく=天皇が述べた言葉)以来現在にいたるまで、実に1200年以上の長きにわたって日本人は右前の着方をしてきたのです。


右前と定めたのは女帝。

 わが国において、最初に服飾の制度を打ち出したのは推古天皇(在位592-628年 )で、聖徳太子の冠位の制定に始まります。以後、奈良時代には何度となく服制が改正され、新しい服飾令が次々と発布されます。また奈良時代は女帝が活躍した時代としても知られていますが、服装に対して女性ならではの関心と感性が反映されたのではないでしょうか。実は前述の元正天皇もそのひとり。
右前と定めたのは女帝だったのです。
 奈良時代は中国の文化を積極的に取り入れており、服飾令もそのほとんどは中国や韓国の服制にならっていました。"右前"も大陸の習わしに従ったものなのでしょう。
また、この世はすべて陰と陽との対比で成り立っているとする中国渡来の思想、陰陽説による「左=先」「右=後」に、着付ける側から従ったともいわれています。
投稿日時 - 2005-04-05 17:12:05
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お礼
大変詳しくありがとうございました!勉強になりました
投稿日時 - 2005-04-05 23:18:41

ベストアンサー以外の回答 (1)

回答No.2
男女とも右前になります。
左前は亡くなった方が着るものです。

よく誤解されるのですが、「左側が上になった状態」が右前です。右利きの人が、懐に手を入れやすいのが「右前」と考えると覚えやすくなります。
投稿日時 - 2005-04-05 17:16:41
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お礼
いつもどっちが上かわからなくなるんです;ありがとうございました^^
投稿日時 - 2005-04-05 23:20:19
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