• ベストアンサー

ヒトラーが突如ソ連に進入した理由は?

世界史には詳しくない者です。 先日、とある本を読んでいますと、「ヒトラーが急にソ連に進行して、ドイツ国民はとても驚いた」という記述がありました。 それまでドイツは主にイギリスと戦っていたと思います。 どうして急にソ連に進行などしたのでしょうか? ヒトラーの狙いと目的は何だったのですか? そしてその狙いを国民が予想できなかったのは、どういった背景があるからなのでしょうか? よろしくお願いします。

  • 歴史
  • 回答数4
  • ありがとう数1

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • k99
  • ベストアンサー率47% (491/1025)
回答No.3

ヒトラーの目的について  自著でも触れていますが、ヒトラーは極端な反共主義者です。また、ソ連を構成する国々はスラブ系民族で、彼の人種観では彼らに治められるべき存在でした。ですから戦争を指向するのはほぼ当然の成り行きです。  一方西部戦線の状態は、フランスを制圧し親独政権たるヴィシー政権が設立され、大規模な陸軍は必要なくなっています。  本来なら、依然として、交戦している英国に陸軍を送りとどけ占拠するところですが、その前段階の航空戦(英国側から見ればバトル・オブ・ブリテン)で、目標-英国の航空戦力を殲滅し、上陸作戦を行う際の制空権確保を容易にする-に自身の判断ミスもあり失敗。上陸作戦は無期限に延期されます。一方英国の逆上陸も難しいだろうと思われ、陸戦兵力が宙に浮いていました。  一方のソ連側はほぼノーガードだった(スターリンがドイツの侵攻はないとなぜか確信していた)上に、赤軍で大規模な粛清が行われた結果、戦力が相当に落ちていました。また、東で日本とも対峙していたために戦力の集中が難しいだろうというよみも可能です。  さらにポーランド、フランスで成功した電撃戦(実態はそれほど革新的ではなかったのですが)がソ連でも十分通用すると思われていました。また、英国がソ連を友軍として期待していたため、これを屈伏させることで英国が講和を乞うということも期待できます。  かくしてヒトラーはソ連侵攻を決意、紆余曲折(主にイタリアによる邪魔)をへて第1段階「バルバロッサ」が発動されます。時に1941年6月22日。狙ったことですが、ナポレオンのロシア遠征を始めた日と同じ日付でした。結果まで同じになるとも知らずに。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%AC%E3%82%BD%E6%88%A6

その他の回答 (3)

  • ss79
  • ベストアンサー率33% (258/765)
回答No.4

No3のご回答で十分と思いますが、少し補足させて頂きます。 ヒトラーの反共産主義は第1次世界大戦の敗北の原因に共産主義の影響があったと考えていたことから発します。 それを隠し対英戦を有利にするための間、補給基地としてソ連を利用する為独ソ不可侵條約を結んだのです。 初期の対フランス戦、対英戦の間ソ連は食料、石油など戦略物資をドイツに供給し続けました。 それもあってスターリンは戦争とは成らないとヒトラーを信じ国内の粛正を断行したのです。 そしてその頃反スターリンの動きがあった陸軍将校団を大量に処刑しました。 ヒトラーの不運は対フランス戦が予期以上に短期間で成功した為ドイツ軍の戦力を過大視し電撃戦を短期間で勝利できると信じてしまったことです。 さらに行き詰まった対英戦も講和に導ける期待もありました。 それにソ連内の反スターリン勢力の協力を過大に見積もり、内部崩壊を期待したのです。 その為ソ連侵攻に踏み切ったのです。 これは独ソ不可侵条約を信じていたドイツ国民も驚いたわけです。 ドイツには長期戦を戦い続ける資源がないので開戦初期の勝利に沸き立ちましたが、冬季に記録的な寒波と道路事情が悪い事から機動も補給もままならず、モスクワ前面で停止した所を、悪路でも運動力が低下しないソ連戦車の反攻にあって潰走に近い損害を受け、長期戦になりました。 その後戦略物資の豊富な南ソ連に目標を変更して長期戦に備えようとしましたがスターリングラードで消耗的市街戦となり、包囲された第6軍30万の兵力を失い後は後退一方でベルリン陥落時にヒトラーは自殺しました。 戦争の早期終結を図ったのに相手の抗戦力と土地事情を見誤ったのが敗因でした。

  • HAL007
  • ベストアンサー率29% (1751/5869)
回答No.2

私も歴史は苦手な方ですが国民が驚いたと言うのは 独ソ不可侵条約があったからだと想像します。 この条約は西に侵攻する際に東のソ連から攻撃を 受けない様にする策略です。西が落着けば東に侵攻する のは最初から計算に入ってのでは? 日本も同様に不可侵条約をソ連との間に結んでいましたが ソ連は条約を無視して侵攻しています。

  • meihemu
  • ベストアンサー率10% (3/30)
回答No.1

このサイトに答えがあります。

参考URL:
http://ww1.m78.com/

関連するQ&A

  • ヒットラーがユダヤ人とスターリンを憎んだ理由は?

    ヒットラーはユダヤ人とスターリンを憎んでいたそうです。 ユダヤ人を憎んでいたのは、ドイツの経済を牛耳っていたからで、スターリンは共産主義だからだと思います。 が、それだけの理由では説明がつかないほど憎んでいたように思えます。 そうでないとユダヤ人ホロコーストや占領したソ連の村での虐殺行為の説明がつきません。 ヒットラーの憎しみの原因は何だったのでしょうか? 世界征服の野望だけでは説明がつかない気がします。 よろしくお願いします。

  • ヒトラーは政治家として国民に対してはどうだったのか?

    ヒトラー12日間をみました。ソ連が徐々にせめてきて、周りの幹部たちがヒトラーに 陸軍?にはもう戦力がないと事実をいっても なんとかなると 嘘?思い込み?だかを言い通し、幹部の早くこの場から逃げて欲しいという話も聞かず、残って最後は自殺しました。意地だったのかもしれないですが。。そのときに、国民をどうするか(助ける意味で) を幹部が聞くと、 弱いものへの同情はない といいました。 結局ヒトラーはユダヤ人虐殺を指示した以外、国民に対しての考え方も 適当だったのでしょうか? あと、ドイツ軍がつけてる軍服のバツ印のような、たしか勲章もあの形だったような、、 あれは何の象徴で、ドイツ軍だけのものですか?

  • ヒトラーの領土目標

    よろしくお願いします。 第二次世界大戦のことですが、あるサイトで、 ドイツとの戦争は、実は回避可能で、ヒトラーは戦争を欲しておらず、それにも関わらず、イギリスはドイツをダンツィヒ問題で開戦に追ひ込み、あの大戦を起こした、と説明されていました。これは多くの一次史料からそう読めるそうです。 ヒトラーは今で言うと「フセインのようなもの」で、仕掛けられた面があったということだそうです。決して大陸全体に領土目標を広げるつもりはなかったし、戦争も欲していなかった、だから戦争は回避できたという主張です。 私は歴史に疎くて、分からないですが、イギリスの宥和政策が裏目に出て、結局戦争に至ったと言う説明も聞きます。また大陸全体に支配を広げる気はなかったというのはそうかもしれませんが、でも、戦争は防げたのでしょうか? それから、ヒトラーは戦争を回避しようとしていたのに、イギリスなどが仕掛けたのでしょうか? そもそもヒトラーの国家構想としては、どこまでをドイツの領土としたかったのでしょうか? 

  • ナチスドイツ党の党首であるアドルフ・ヒトラーの意思

    ナチスドイツ党の党首であるアドルフ・ヒトラーの意思は未だに生き続けているのはなぜですか? アメリカもイギリスもナチスドイツのアドルフ・ヒトラーが考え出した国民からお金を確実に徴収して国の財源にする確定申告制度を導入している。 確定申告はアドルフ・ヒトラーが考案した悪魔の考えですよね。 悪魔の果実をアメリカもイギリスもナチスドイツのアドルフ・ヒトラーは悪魔と言ったのになぜ悪魔が考え出した悪魔の実の真似をしているのでしょう?

  • 第二次大戦にソ連とアメリカが参戦しない可能性はあったか

    第二次世界大戦に関する質問です。歴史に「もしも」はないですが、歴史の上で以下のターニングポイントはかなり重要だと思うので。 質問1 イギリス・フランスと戦っていたヒトラーが「ソ連と戦えば負ける」ことが予測できたほど「賢明」であり、独ソ不可侵条約を破らなかった可能性はあったのでしょうか。また、そうなれば戦争の行方はどうなっていたでしょうか。 質問2 ルーズベルト大統領が「日本とドイツも脅威だが、ソ連の社会主義勢力が伸びれば更に脅威となる」ということを予測できたほど「賢明」であり、日独とソ連どちらにも味方せず、したがって戦争に参加しなかった可能性はあったのでしょうか。また、そうなれば戦争の行方はどうなっていたでしょうか。 質問3 質問1と2の可能性が同時に起きた場合(つまり米ソとも大戦に参加しない場合)、枢軸国は戦争に勝っていたでしょうか。そうなればどんな世界になっていたでしょうか。

  • 第二次世界大戦とヒトラー

    第二次世界大戦とヒトラー  第二次世界大戦のドイツの歴史資料を読むと、ヒトラーが、狂気になっていて、これが性で、戦争に負けてしまったと何度も、書かれています。  ロンメルが、アフリカで戦争した時も、ロンメルのやり方とヒトラーの指示の間でギャップが、あり、このために敵ではなく、ヒトラーの指示で戦争に負けてしまったなどの説明があります。  死守しても、占領した領地を奪い返されては、ならない。  ソ連とのバルバロッサのスターリングラードの戦いでも、現地の将軍は、撤退することを希望しますが、死守せよと譲りません。  指示が、激しく荒れ狂っていて、怒りやすいと指摘されてします。甘いチョコレートが大好きだったことも、怒りやすい原因の一つでは、無いかと考えています。怒りまくって、正しい、冷静な仕事ができるとは、考えにくいです。 ●Q01. それなら、ヒトラーがいなかったら、欧州の戦争に勝てたのでしょうか? ●Q02. そもそも、ヒトラーがいないと戦争を仕掛けなかったのでは、無いでしょうか? ●Q03. ヒトラーは、戦争勝利の足を引っ張ったことになっていますが、ヒトラーが無ければ、将軍同士で言い争いになって、いい加減なまとまりの無い結果、優柔不断な結果になったのでは、ないでしょうか? ●Q04. もし、ドイツが、欧州で戦争に勝つためにヒトラーは、どのような人物だったらどのように戦争を指揮していたら成功を収めることができたのでしょうか?  たとえ、一つだけでも、お知りのことがありましたら、ご教授方よろしくお願いします。 敬具

  • インドのアーリア人とヒトラーのアーリア人

    通常アーリア人といえばイランとインドに住む民族のことを指すと思いますが、ナチスのヒトラーは「ドイツ人は最も純粋なアーリア人」と主張していました。勿論この主張には無理があると思うのですが、当時のヒトラーはドイツ人とインド人、イラン人を同一視していたということなのでしょうか?そしてその当時のイランとインドはイギリスの植民地になっていたと思うのですが、「同胞」であるイラン人とインド人を解放しようと思っていたのでしょうか?なにしろ「世界を支配するのは我々アーリア人である」と言っていたくらいですから。

  • ドイツ軍対イギリス軍

    第二次世界大戦でドイツがソ連に進行せずにイギリスだけと戦った場合 どちらが勝ったのですか?史実と同じでアメリカからのレンドリースはあるものと考えます。

  • フェミニストの蔑称”フェミナチ”について

    フェミニストの蔑称”フェミナチ”についての意見です。 女尊男卑傾向の強いフェミニストを”フェミナチ”と呼ぶ人がいます。呼び方の発祥はアメリカだったような気がします。 でも僕はこの言い方は、好きではありません。 こういう言い方をすると、第二次世界大戦は全部ドイツが悪い(ホロコーストについてそう言われるのは仕方ないと思いますが)という印象を僕は受けるからです。 フェミナチという言葉のみならず、バカの一つ覚えみたいに、○○ナチとかやたらにナチスの名を使いたがる人がたまにいます。 それは、先ほども書いたように第二次世界大戦は全部ドイツに責任があるという印象を与えるので使うべきではないと思うのですが? 第二次世界大戦は、ドイツだけが悪いかというとそんなことは決してありません。 ヒトラーの台頭の背景には、イギリス、フランスの第一次大戦の戦後処理のまずさがあったのは言うまでもありませんし。イギリスなんか、ドレスデンなど無差別爆撃で民間人虐殺を繰り返してますし、ソ連だって帝政ロシアの時代に”ポグロム”というユダヤ人虐殺をやってますし、第二次大戦中は、強制移住の名の下にチェチェン人を虐殺してますし。 ドイツのみならず、日本もソ連もアメリカもイギリスもみんな悪い国だったと思います。 ですから、”フェミナチ”という言い方ではなく”クレイジーフェミニスト”という言い方のほうがいいと思います。 どうでしょうか僕の意見は?

  • 昭和10年時の軍事力ランキング

    第二次世界大戦直前の1935年頃の軍事力を国別に順位付けしたらどのようになるのでしょうか? 自分の予想は下の通りです 陸軍力 1ドイツ2ソ連3アメリカ4日本5フランス6イタリア7イギリス 海軍力 1アメリカ2日本3イギリス4ドイツ5ソ連6フランス7イタリア できれば根拠もいただければうれしいです