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昭和48年か47年頃、小学校5年生か6年生の国語の教科書に掲載の物語

だいぶ昔の話ですが、私が小学校5年か6年生(昭和48年・47年ごろ)の時の国語の教科書の中に中国か、モンゴルか、その辺りの物語が掲載されていました。その物語の題名を誰か教えていただけないでしょうか?覚えているのは、『チャー(得体の知れない生物の名前?)』と、この物語で『夜のしじま』と言う言葉を覚えたことくらいです。今は、頭の中に想像の映像として断片的に残っているだけでうまく説明できないのですが、とても刺激を受けた印象があるので、もう一回読んでみたいのです。ちなみに私の出身小学校は東京都の多摩地区です。『スーホの白い馬』ではないことは確かです。何十年も気になっています。

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  • ベストアンサー
  • poohron
  • ベストアンサー率59% (574/971)
回答No.1

魯迅の「故郷」でしょうか? 参考URLの訳文で「夜のしじま」という言葉は出てきませんが、「チャー」は出てきます。

参考URL:
http://www.asahi-net.or.jp/~ft7n-tnmt/hometown.html
yama6666waka
質問者

お礼

早速、ありがとうございました!長い間ずっと気になっていたので胸のつかえがすっきりしました。魯迅の『故郷』でした。参考URLを読んでこれだッ!!と思い出しました。

その他の回答 (1)

  • m770
  • ベストアンサー率21% (140/653)
回答No.2

 私も魯迅の「故郷」だと思う。

参考URL:
http://www.asahi-net.or.jp/~ft7n-tnmt/hometown.html
yama6666waka
質問者

お礼

ありがとうございました。今日はよく眠れそうです。

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