解決済みの質問
・日本はキリスト教国家で無いけど西暦を用いていますが、中国やイスラム世界では西暦がメインに使われているのでしょうか?それらの国でも独自の歴があるのですか(過去現在において)?
・もう次の元号は決まってるんですか?
決まってないと、天皇が急死した時しばらく元号無しになってしまいません?
・日本でまだ西暦が用いられていなかった頃は、どうやって年数を計算していたんでしょう?
例えば、1357年から1753年までは何年間あるか?といった場合、西暦なら引き算で出ますが、元号しかないと、その間にものすごい数の元号があってどうやって計算していたんだろうと不思議です。
年号一覧表をいちいち見て地道に足し算とか?
・古い考え、固い考えの人は元号を使いたがりますが、そんな人たちはなぜ明治より前は元号使わないんですか?覚えきれないとか言ったらぶん殴ります(笑)だったら元号使いたがるな!と・・・。
投稿日時 - 2004-10-30 06:31:28
質問1、、
西暦がヨーロッパで普遍的になったのは10世紀以降、それまではローマ紀元です。つまりキリスト教の布教とともに西暦も広まったという事でしょうか。韓国の壇紀は一般では西暦と併用、イスラム教国はイスラム暦(イランは独自のイラン暦)、タイでは仏滅紀元というのがあり、インドや台湾ほかでも独自の紀元を持っています。イスラエルはユダヤ暦です。大体は西暦と併用ですが、イスラム教国は併用しないところがほとんどです。
質問2、、
昭和に関していえば、昭和63年9月に昭和天皇(当時はまだ現役の天皇なので昭和天皇とは呼ばれていない)が倒れてすぐ、政府部内で次の元号の制定作業に入りました。これは当時の新聞報道にも明記されています。
質問3、、
江戸時代の「武江年表」を見てみましょう。延享元年、甲子とあります。続いて延享二年、乙丑、、延享三年、丙寅、延享四年は丁卯です。甲乙丙丁っていうものの数え方はご存知でしょうか?中野重治の小説にもありますが古いものの数え方です。或いは子丑寅卯と並べて、これは十二支だな、とわかります。元号が入り組んでいても甲乙丙丁…(まだまだ続く)と十二支の掛け合わせなど昔は昔なりの方法で独自の数え方があるという事でしょう。
質問4、、
元号を使う人は別に固い考えとか古い考えとかと関係なく、その辺の女子大生とか店員さんとかでも使うので、これは偏見がちょっと強いのではないかと…
投稿日時 - 2004-10-31 04:40:25
お礼
自国の暦との併用が多いのですか。
調べてみても、ある(あった)という書き方で今どうなってるのかよくわかりませんでした。
>昭和63年9月に昭和天皇(当時はまだ現役の天皇なので昭和天皇とは呼ばれていない)が倒れてすぐ、政府部内で次の元号の制定作業に入りました
予め決めておいて発表しておけば、なくなった時点ですぐに今日から○○だ、となりスムーズに移行出来るように思うのですが。不謹慎だといってもいつか死ぬわけだし。
4つ目は自分の言葉が足らなかったようです。
やたらと使いたがるというのは、単によく使うという意味ではありませんでした。自分も元号はよく使いますから。
そうではなく、元号を使うのが常識であると考える人がいるということです。
「元号は法律でもって政令により定める以上、国の機関としては特に理由のない限り元号を使用すべきことは当然であり、地方公共団体も国に準ずるものと考える」というのが政府の見解・・・ということで行政機関における文章では元号を使うのが通常ですが、横並びで民間における文章においても元号を使うのが通常でありそれが常識であり、「西暦など使う奴は常識が無い奴だ」と考える人が存在するということです。
どの程度いるかは知りませんが、たまに聞きます。うちのオジイもそんな感じの人です。
投稿日時 - 2004-10-31 05:16:18
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ベストアンサー以外の回答(8件中 1~5件目)
皇紀について出てますが、皇紀が制定されたのは明治6年。
それが日本人全般に認識されだしたのが紀元二千六百年(昭和15年)です。よく戦前はすべて皇紀と思う人がいますが間違いです。
尾崎翠、種田山頭火は昭和5年時に一九三○年と西暦表記をそのエッセイや日記で使っています。
新聞も同じで昭和7年の日本初のバラバラ殺人では東京朝日は「1932年の怪奇」とこれまた西暦を使っています。
つまりは戦前日本でも少なくとも昭和初期は元号と西暦の併用であった。皇紀が新聞に出てくるのは紀元二千六百年の前年あたり(昭和14年)からで、昭和16年の対米英戦で西暦が皇紀にとってかわるような感じで使われているのが目につきます。
投稿日時 - 2004-10-31 04:46:57