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ヘーゲルの本で労働について

ヘーゲルの本で労働について書かれている本を教えていただけませんか。何かの本で労働とは実践だみたいなことが書いてあってとても気になっています。

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回答No.2

No1さんのご指摘は非常にわかり易く、また妥当なものだと思います。ということで、私は補足的な回答をさせていただきます。 『精神現象学』では労働は意識の現象だとされます。それはすなわち、「精神の労働」ですが、この労働の所産が「作品」であると言われます。この作品という言葉でヘーゲルが考えていたものは広範でして、いわゆる労働生産物、ひいては財産も作品のうちに入りますが、そのうちで主なものは、学術・文化・芸術に関わる「精神労働」の所産としての作品となります。(参照: 加藤尚武 『ヘーゲル哲学の形成と原理』、未来社、1994年、152頁) さて、その人間の意識や精神とその所産について述べられたものが『精神現象学』でした。ヘーゲルがここでいう「労働」を簡単に述べれば、労働において意識は主体的形式を失うが、より高い段階である作品の客体化においてそれ(形式)を獲得する(直観する)、ということです。このような考えが支配と隷属の弁証法、または、理論的意識と実践的意識の弁証法の基礎にあります。 これは、コジェーブが『ヘーゲル読解入門』の序において述べているように、欲求と対象との関係において主体が自我として主体を認識するということにつながります。 その自分自身を直観する精神について、ヘーゲル自身の言葉を借りれば、次のようになります。 形式は外へと提示されることによって、この意識にとって自分とは違った他者となるのではない。なぜなら、形式こそは、意識の純粋な自分だけの存在であって、この存在が形式においてこの意識にとって真理となるからである。だからこの意識は、自分自身の努力で自分をこのように再発見することによって、まさに、ただ他の意にばかり従っているかに見えた労働において(in der Arbeit)こそ、固有の意味を得るのである (Meiner /Philosophische Bebliothek版では135ページ以降。翻訳、樫山欽四郎『精神現象学』(平凡社ライブラリー)では232ページ以降) なお、マンフレート・リーデル『体系と歴史―ヘーゲル哲学の歴史的位置』によれば、『精神現象学』前のイェーナ時代の講義・著作にも上述のような「労働」についての考えが示されているようです。

回答No.1

私が読んだのは、アレクサンドル・コジェーブ『ヘーゲル読解入門――精神現象学を読む』(国文社)です。 ヘーゲルの一次文献は読んだことがありません。 その上での回答であることを、あらかじめご了承ください。 そのコジェーブの読解のなかで『精神現象学』の中に、「主人と奴隷の弁証法」の部分で、主人の地位と奴隷の地位が逆転する際、「労働」が契機のひとつとして、きわめて大きな役割を果たすことが紹介されています。 >労働とは実践だみたいなこと というのはずいぶん漠然としていてよくわかりません。 「主人と奴隷の弁証法」の「労働」とは少しちがうような気もします。 中山元『思考の用語辞典』を見てみると 「哲学で、労働の意味をはっきりとのべたのはヘーゲルだ。人間が言語をもち、道具をつかって自然にはたらきかけること。それによって所有物を生産し、他者と法的な関係を結ぶこと。それが社会と国家がなりたつ基礎にあると、かれは考えていた」 とあります。   ヘーゲルはみずからの思想を体系的な哲学としてうち立てていくことを指向した人です。 ですから「労働」という概念も、おそらく全体の一部として位置付けられているだろうし、何かの書物にだけ述べてある、というより、多くの書物で触れられていると思います。 もしヘーゲルの「労働」の概念を知りたい、とお考えでしたら、ヘーゲルの思想の概略を理解することから入られてはいかがでしょうか。 先にあげたコジェーブは、決して難解ではありませんが、「欲望」という観点から『精神現象学』を読み解いた、コジェーブ自身の思想ということができるかと思いますので、純粋にヘーゲルの思想の概略ということでしたら 今村仁司・座小田豊編『ヘーゲル』(講談社選書メチエ) がわかりやすいと思います。

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